アフェクティブイノベーション協会

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ai Cafeとは、協会理事による、それぞれ個別にテーマを設けた勉強会です。
AIA理事による、それぞれ個別にテーマを設けた勉強会です。 テーマに対する発表と参加者による活発な意見交換が特徴です。




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SKELセミナー参加レポート
報告者 : 中尾将志(システムエンジニア)
場所 : MAXRAY 東京支店、中目黒
日時 : 2017 年 1 月 19 日(木)19:00 ~ 21:00
テーマ : 感性と知能からイノベーションを探る
―システムとデザインの観点から感性と知能を知る―
1 概要

 2017年1回目のSKEL(椎塚感性工学研究所)セミナーは、1月19日19:00~21:00、いつもの中目黒 MAXRAY東京支店にて開催されました。


 今回椎塚先生が示し、参加者と議論したのは、
・デザインとは『モノに意味を与えること』であり関係を構築することである。
・しかし、モノから感じ取る意味は、感性によって異なる。人間とは多様なとらえ方をするもの。
・『デザイン駆動システム』にて意味付けのモデル化ができるのではないか?
・モデル化やデザイン思考が広がっていくと、誰もが同じモノをデザインしてしまう懸念が出てくる。
・大事なのは文化。デザインをプロセスや手法だけでなく、文化に目を向けなければならない。
・製造品質中心の時代から利用品質に移行している。利用者、その背景、文化に着目しなければ。
・モノゴトを理解し、感性をデザインし、意味を生み出そう。
・デザインすることには、数多くの要素、観点がある。これをどう組み合わせるか?
 どういう順番で、どういう重み付けで構成するか?これは行列式やネットワーク構造として表現できる。
・感覚的にデザイナーがやっているイノベーションを、プロセスだけでなく、
 デザイン要素の構成として科学することができるのではないか。
 科学することで、イノベーションをより牽引できるのではないだろうか。
・かたや、科学万能主義・功利主義は、論理的客観的なものを奨励し、あいまいさやズレを排除してきた。
・あいまいさを肯定し、不明瞭を受容し、ゆらぎを呼び込み、直感的主観的な賢さを是とする。
 こういう人文科学の中でも、感性を強めるもの。これと科学することの交差点が、
 イノベーションの発火点になると考える。
ということでした。


 いつもの通り、プレゼンよりも参加者との議論を、結論よりも発散を、意見の共通認識よりも多様性を重視した、楽しく熱い2時間。あっという間です。語り合い足りない参加者有志は2次会に向かうのでした。

 概要に続いて主要な議論のポイントを記載したいと思いましたが、抽象的な意見や議論が多いのもあり、ポイントを記載するのはひじょうに難しいです。
 しかし『意味のとらえ方は人によって異なる』『意味の多様性』というのが、今回のSKELでも話がありましたので、報告者の主観にて、印象・感想を書かせて頂きます。

2 デザインと、感性、多様性と同相

 「デザインとは物の意味を与えること(Klaus Krippendorff)」。デザインとは関係である(Paul Rand)」。といった定義からスタートしました。この定義を共有化するのがゴールではありません。
意味を与えるといっても、人によってモノゴトのとらえ方は違うのです。『感性』の現代的なとらえ方は『意味や価値を見出すプロセス』。デザインに感性が重要なのは、こういうことなのだと分かってきました。
 感性が人それぞれであるため、意味は多様性を持ってくるわけですね。
そう言いながら、数学でいうトポロジーを椎塚先生は紹介します。トポロジーではドーナツとコーヒーカップが同一であるというやつです(Wikipediaなど参照下さい)。
 異なる物に見えながら同一である。意味も多様でありながら、同じ意味である。本質的に異なる形状がどれだけあるかをトポロジーが学ぶのであれば、個々人で異なる意味ではなく、本質的に異なる意味を見出すのがデザインなのでしょうか?
 議論は収束することなく続きました。


3 デザイン駆動システム

 デザインでイノベーションを起こすとは、製品の特徴ではなく、意味を考えること。製品を改良するではなく、革新的な変化を探求すること。既存のニーズを満足するのではなく、ビジョンを提案すること。特徴をみて改良するのは演繹的である、という話がでました。


 資料後半には『アブダクション(帰納法、演繹法と並ぶ3つ目の推論法)』を用いた創造プロセスのスライドがありましたが、時間足りず今回は話に出ませんでした。創造することイノベーションを起こすことは、アブダクションが大事であるとは、椎塚先生が以前から提唱されています。以前のSKELでも、演繹法は既知事象の説明能力はあるけど今後の事象を描けないことについて議論しました。改めて、このテーマを議論する日が楽しみです。

 さて、実際にデザインの仕事をしている参加者からも、デザインすることについて意見が出ました。
『どう利用者を意識しても、作り出す側と使う側の意味のギャップも出てくる』という話題は、手法・関数では答えが出ないことを示唆しました。HCDプロセスがサイクリックな事とも整合性があり、演繹的でなくアブダクションを用いた発想プロセスが大事であることを示しているのではないでしょうか。
 一見発散しているテーマ、関連なさそうな以前のテーマとも、リンクしていくのが、SKELの楽しみの1つです。


4 手法と標準化、品質と文化

 参加者からも「デザイン思考は、本当に色んなところで見聞きするようになった」といった意見、「手法は確かにありがたい。しかし80点はとれるけど、100点がとれない気もする」といった意見があがりました。
 報告者の私はシステムエンジニアですが、あるプロジェクトマネージャが、システム開発のプロセス標準化やマネジメントツール導入を「できない人、不慣れな人を底上げするが、できる人のパフォーマンスを下げる」と仰ってたことが記憶に残っています。標準点をあげるために、ハイパフォーマーが機能発揮しない。クリエイティブな領域の仕事、人対人の仕事になると、より痛感します。


 物作りでは製品品質、機能品質を重視してきました。過剰品質という言葉が生まれるほど品質を追求してきましたが、今は機能品質が差別化要素戦略的差異化要因ではないと言われています。HCD(人間中心設計)でも利用品質として、利用者の使い勝手や体験の重要性を提言しています。
 デザイン思考、HCD(人間中心設計)、UX(ユーザーエクスペリエンス)、様々な方々が利用者視点、利用品質、利用者の体験価値に向けた事例や手法を出しています。
「表面上の手法で、80点をとっても平均点になってしまう。差異を生み出すために、何を大事にデザインしなければならないのか?それは文化だ。手法で文化を切り崩してしまわないよう、文化を前提に、文化を大事にデザインしていこう」
 文化に関する議論は熱を持ちます。
 私は思います。「『イノベーションは未来の当たり前を作ること』という人もいる。当たり前の対義語はありがとう。つまり、言い方を変えると『イノベーションは今のありがとうを無くすこと』とも言える。皆にとって当たり前になっているってことは、それは文化になっていくということ。デザイナーは文化を観点におき、今ありがとうと思える感受性を高めてデザインするべきなのだ」と。


5 急進的研究者

 椎塚先生は「デザイナーは急進的研究者であるべき」と示しました。
すかさず参加者から「デザイナーと、クリエイターやアーティストと呼ばれる人に求められる役割は違うが、デザイナーが担うべき役割はどこまでなのか?」と議論が持ちかけられます。


 「デザイナーは問題解決する人。文化を牽引するのはアーティストやカリスマであって、その手段を整備するのがデザイナーではないのだろうか?」「両方の資質を持つのは理想だろうが、分かれている場合にどう共創していくのか?」と議論は続き、デザイナーとの仕事の進め方についても意見交換がありました。
 今回は、組織論の話は出ませんでしたが、『問い』を持つ人、問題解決を見出すデザイナー、解決手法を形にするエンジニア・・・。コンサルファーム、デザイン会社、・・・、さらに協業共創のニーズが高まっていきます。
 ヒエラルキー型からホラクラシー型への移行が必要になり、会社内からフューチャーセンター化・コミュニティ化した場で働くための組織設計とコミュニケーション能力が必要になるのではないでしょうか?椎塚先生が注目しているホラクラシー型の「ポジュラー組織(ポッド+モジュール)」についての議論再燃も楽しみです。


6 デザインの要素、構造化・階層化、ネットワーク構造

 今回、150ものデザインの観点や要素の一覧を見せて頂きました。
これほどの要素数、そもそも単純に同列に並べるものでもないのでしょう。
 『この150を世の中とインターフェースする要素と考えると、行列式で表すこともできる筈だ。ネットワーク構造として表現できる筈だ。デザインを科学するとはこういうことではないか』そう椎塚先生は考えているようです。
 『デザインは関係である』という定義、感性をインプットからアウトプットを生み出す関数ととらえる考え方からすると、150を統廃合して構造化分類するのではなく、世の中とどう関係しているかを表現するという考え方に納得しました。

 今回、椎塚先生は「良構造問題」と「悪構造問題」を紹介されました。前者は数値処理、繰り返し的、定例的、理論的。後者は記号処理、一過的、非定型的、経験的。学問の現場では、前者の方が評価されやすいが、難しい問題は悪構造であることが多い、と。
 悪構造問題である感性を用いたデザインを、行列式やネットワーク構造を用いて表現しようとする。これは、大変意欲的な試みではないですか!
報告レポートを書きながら思い出しているのがKJ法です。分類法としてではなく発想法としてのKJ法。
 フィールドワークで見出した気付きをカードに書き起こし、構造分類するのではなく、『カードが語りかけてくる言葉に耳を傾けてカードをまとめていく』ことで、観察対象から新たな価値を発見していくのがKJ法の本質と聞きました。
 このカードの構造分類しないまとめ方は、観察事象とカードの『関係』を感じ取るやり方なのかも。「デザイン思考という言葉の前からKJ法は発想法としてある。分類法として認知されてしまったKJ法ではなく本来の発想法としてのKJ法を学ぶべき」と、椎塚先生に紹介頂いていたのですが、あらためてデザイン思考とKJ法の本質的な同一性を感じています。


7 あいまいさ、あそび

 ここまで、論理的にデザインを科学することを提言しておきながら『人間にとってあいまいやズレが大事、あそび(車のブレーキを数㎜弱踏み込んでもブレーキかかりませんが、この範囲のことをあそびと言います)が大事だ』と、椎塚先生は言います。あそびが感性を生むのだと。だからこそ、テクノロジーと人文科学の接合地点がイノベーション発火点だと。
 テクノロジーと人文科学はどちらも大事で両方必要だという椎塚先生の理念は、何度か伺ったことがあるのですが、今回新たに感じたことがあります。
 悪構造問題になりやすく科学しにくいものは、経験論で語り、経験で学ぶのがいい。私はそう思っていました。今回新たに感じたのは「そこにも科学すること、テクノロジーを導入することを簡単に諦めてはならない」という椎塚先生の意志です。


8 2次会

 SKELセミナーは、終了後すぐに近くでワインを飲みながら2次会が始まります。今回は、いつものお店がお客さんいっぱいでしたので、お隣の店でした。


 その場で釈然としなかった議論、新たな解釈といった延長戦。それぞれの最近の仕事の取り組み。プライベートであった最近の面白かったエピソード。今後のSKELの展望。・・・、話は尽きません。


9 最後に

 今回、2時間の議論を報告者の主観で切り取ったレポートにさせて頂きました。
前回のレポートとは趣を変えたい。
 SKELの面白さは、参加者の多様性と、主宰の椎塚先生および事務局の受容度の広さにあると私は感じているのですが、レポートそのものに多様性を持たせることで、それを感じて頂きたいと考えてのことです。
 次回のレポートは、誰が、どういう形にするでしょうか。グラフィックレコーディングもあるでしょう、写真だけで感じさせるのもあるかも知れません。私も楽しみにしております。


以上